ノゾエさんと苗字の話【山中志歩】

更新:2021.11.30

エヴァンゲリオンの公開日が公開されましたね。見たいけど、見ちゃったら終わる気がして、見るのが怖いです。「エヴァに乗れ」って言われたらどうしようという妄想を一人でするのが好きです。この前、友達に「乗れって言われたらどうする?」と聞いたら、その子は「だって私しか乗れないんでしょ? 乗るよ」と言っていたので、日本は安泰だと思います。

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ところで、私は苗字が嫌いだった。

田舎の中学だったから、名前かあだ名で呼び合うことが普通で、そう呼ばれない人たち、要するに苗字+さん付けで呼ばれる子たちはクラスの隅の方に追いやられていた。たった3年間なのに、そのころの人間関係っていうのは後々強烈に自分の中に刻み込まれる。だから、わたしは「山中さん」じゃなくて、「しほ」って呼んでもらいたかった。

そもそも、山中って苗字がださすぎる。山の中って。諸に田舎者の象徴じゃないか。

「私の苗字の由来は、伊勢の伊と藤原氏の藤。元々はそっちの方の貴族だったらしいんです~」なんて言ってみたい。

あー苗字の由来ですか?……え、あ、あー、えっ? ああ、うーん、、あ、山の中って意味ですかねえ? えへへ……。

これじゃあ漢字の意味を言っているようなもんだ。そして、ほぼ住所だ。現に本当に山の中に住んでいて、周り全員親戚で、回覧板の名前の9割は山中で、大体血が繋がってて、先祖代々百姓でした……ああ、苗字を見ただけで全部分かってしまうよー……。だから、23歳までに出会った人たちは大抵私のことを「しほ」と呼んでいるし、呼ばせていた。

 

その人の苗字はカタカナだった。

何のゆかりもない北九州で、苗字がカタカナの人と演劇を作った。カタカナの人は、私の苗字をセリフに書いて、劇中で何度も何度も相手役に叫ばせた。タイトルの中にも、私の苗字の一文字を入れた。もちろん、役名はしほ役ではなく、山中役だった。

稽古の最初は「やまなかー」と呼ばれることに慣れず、生まれて初めてぬれ煎餅を食べたときのようにぎょっとしていたけど、呼ばれ続けると「山中」が当たり前のようになってくる。苗字がカタカナの人はお芝居の中で、私に親友を作ってくれた。嬉しかった。

カタカナの人は言った。「僕は生まれてから引っ越しばっかりしてたから、地元っていうのがないんだよ。家はあるけど、実家に帰るっていう感覚がわからない」

私と正反対だなあと思った。だからかもしれないけど、その人は人を見る目が群を抜いている。どの人に何をやらせたら一番面白くなるのかっていうことを潜在的に知っている。1600人くらいのお年寄りの方々と演劇を作ったときも、たった一つのセリフを誰に喋らせたら面白くなるのか、どうやって喋らせたらいいのかっていうことを瞬時に判断していた。きっと小さい頃から、色んな土地で、色んな言葉を話す人々にたくさん会ってきているから、人を優劣で分けずにフラットな目線で見抜く力があるんだろうなぁと感じた。本当のところはわからないけど、想像した。

その当時、私は上京したばっかりで、小劇場のありとあらゆるオーディションを受けたけど、ほぼ落ちていた。合否はメールで全員に連絡します!と言われたのに、4年経った今もまだ連絡が来ていないものもある。よほど審査に難航しているんだろう。

だから、北九州までオーディションを受けに行くのがこわい。また落ちるんじゃないか、また否定されるんじゃないか、また見てもくれないんじゃないか、と思う。だけど、このオーディションを見送るほどの勇気は出ず、気付いたら北九州行の航空券を予約していた。

合格した人にだけ今日中に電話をします、と言われて、見知らぬ土地で一人電話を待つ。21時を過ぎても、電話は鳴らなかった。私はお母さんに「全部やめて、もう帰りたい……」と泣いていたら、22時頃に知らない番号から着信がかかってきた。

 

ノゾエ征爾さん。

ノゾエさんに出会っていなかったら、あそこで私は演劇をやめて地元に帰っていたかもしれない。選んでくださったから、私の人生が変わったと思う。

ノゾエさんが台本に書いてくれたおかげで、私は「山中」という苗字が好きになった。23歳以降に出会った人たちは私のことを「山中ちゃん」と呼ぶ。初対面の人にも「山中ちゃん」と呼ばれる。そう呼んでもらえるのが嬉しく、誇らしい。
 

○○トアル風景

○○トアル風景

ノゾエ征爾
白水社

岸田國士戯曲賞というものがあって、この賞は劇作家に贈られ、演劇界の芥川賞と呼ばれています。ノゾエ征爾さんは2012年にその賞を受賞しました。これはそのときの受賞作です。

 

まず、表紙が気になったんですけど、これは一体何の写真だろう……。おじいちゃんおばあちゃんたちが、立っていて、踊っているんですかね?ステージにはアロハシャツを着たおじさんがマイクを持って、多分なにかを歌っています。端に寄せられた机の上は、荷物が乱雑に置いてあって、誰もこの瞬間を写真に切り取られてるなんて気づいていなくて、その上まさか本の表紙になるなんて頭の片隅にもないだろうという、すごく無防備な一瞬。カバーを外すともう一つ仕掛けがあります。

戯曲というのは、要するに台本とか脚本と呼ばれるものです。セリフとト書きで構成されています。セリフは、「こんにちは!」などの登場人物たちが話す言葉で、ト書きは、「と、歩いている。」のような行動などを示す言葉です。戯曲をもとに私たちはお芝居をうんうん唸ったりして作ります。

この『〇〇トアル風景』も元々は2011年7月に上演されています。私は当時高校生だったので、残念ながらこの作品を観られていません。だから、今回はどういった舞台だったのか全く知らないまま、文字だけで読みました。

あらすじは、男と女が出会って、恋人になって、喧嘩して離れて、その間お互いに色んなことを経験して、また出会い直すっていうお話です。めちゃくちゃシンプルなんですけど、一つ一つ色んなシーンを組み合わさって構成されています。シーン自体が短くて、だいたい4~5ページくらいですが、時間と空間を縮小させたり、拡大させたりして、パッチワークみたいに繋げることで、全体として創世記のような作品になっています。でも描いてることは人の微細な気持ちだったりして。そこに心打たれます。

筋とは関係ないところに、ジョギングの続かない女っていう登場人物が出てくるんですね。彼女は登場しては世の中に対する不満を言って去るんですけど、

 

”ジョグ女 昨日のこと。
      親しい友人に聞かれた。
      「親友っている?」
      「あなたも親友だし、もう何人かいるよ?」
      「じゃあ臓器提供できる相手が親友だとしたら、何人いる?」
      一人もいなかった。
      親友が一人もいないなんて、なんて辛い世の中なのだろう。”

 

このセリフが面白すぎて、一人でげらげら笑ってしまいました。その基準なら、私もいないかもしれないなぁ。

あと、私はノゾエさんは魔法使いみたいだなって思っているところがありまして。ト書きは大体、行動が指定されてたりするんですけど、ノゾエさんは後半のとあるシーンを読み手にゆだねています。

 

”男 人って、変われる?
 母 …………。
返事はもうないかのような長い間。
母は、息子を見つめ、静かに、静かに、優しく、ゆっくりと唄う。
(中略)
二人で息子を見つめ、もう一周唄う。
息子は涙を流すのだろうか。”

 

「返事はもうないかのような長い間。」「息子は涙を流すのだろうか。」という、この二つのト書きが、とてもジーンと来ました。天才漫画家がよく、「勝手にキャラクターが動き出すんです」っていうけど、あれと同じものを感じるというか。

ここの答えをきっとノゾエさんも知らずに書いたのかなって思いました。いや、知らないわけじゃないんだけど、そこを託すというか、問われている気がします。

ここだって、「長い間。」「息子は涙を流す。」って書けばいいのに、ノゾエさんはそう書かない。それが良さであり、そういうところにノゾエさんの禅問答な雰囲気を感じます。夕日を見て汚いなあって感じる人がいないように、ここのシーンは普遍的でなにか大きな共通理解があるような気がしています。

一番最初のページに【チョークと、チョークで描く壁があればできる演劇】と書いてあります。そして、戯曲の最初に、”何もない、誰もいない空間。男が入って来る。佇んでいる。”とあります。

私はピーター・ブルックという演出家が好きなんですが、その人の著作に「どこでもいい、なにもない空間――それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる――演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ」という言葉が出てきます。この本の最初のページを開いたときに、その言葉を思い出しました。とても原始的だと思いました。そして、最後に残った描かれたものも素敵でした。

書いている人が知り合いだった場合。私は性悪なので、邪な気持ちが働いて、特に男女の会話のほとんどを「実際にあったことなのかな?」とニヤニヤして読んでしまいました。本当のことは怖くて聞けません。聞ける方はノゾエさんに聞いてみて、そしてあとでこっそり教えてください。

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